何でも書ける自由帳

意味あり気な役に立たないことを綴る日記

釣行記2021.5.13

一身上の都合により金銭的なタイムリミットを迎えていた。何とか悔いを残さないように、今日はTBSを狙ってみる。あまり芳しくないようだが、明らかに前回までのポイントよりはマシだろうと思った。

 

ちょっと油断して現着はライトが要らないくらい明るくなってからだった。いつもの駐車場が砂で埋まり、奥まで入るとスタックしそうだったのでメジャーなところに行くとあと3,4台のところで満車状態だった。人が多いが広大なサーフなのでまあ仕方ない。

 

ポイントに入り、一投目は爆釣ジグ40gブルピンで遠くから探る。カウント8秒でボトムだから、西側より浅め。とりあえず全層探るようにジャークする。

 

太陽がもう少しで覗くくらいのいい明るさの時にぴくっと何か反応があったが、お隣とお祭りしてしまったみたいだ。巻きながら近づいていくと「すみませーん」と相手も気づいたようでこちらに来た。お祭りしても何も言わない人が圧倒的に多いと思われた地域だが、こういう方が増えることを願った。

ルアーはどうやら相手のミスキャストらしくちょっと安心したが、外している最中妙にぴくぴくと相手の動きではないような反応があり、外したいのか巻きたいのかよくわからない挙動不審な動きを見せてしまったと思う。そのうちにぴょこんと外れたのでお互いに謝って立ち位置に戻ろうとしたとき、ググっとテンションが掛かって魚が食っていたことに気付いた。お隣さんも、えっ!?なんて言いながら見ていたのでグリグリ巻き上げてランディングさせた。

「イナダですか、すごいですね!」と言われたのだが、状況的に「すみません...」と言うしかなかった。微妙な展開での今年初青物となったが、それ以上に気持ちよく釣りができることにうれしさを覚えた。

 

その後は追われてライズするカタクチかチアユを見ながら表層付近を意識して柔らかめのジャークを入れて立て続けに2本追加できた。お隣さんにもヒットがあったので見ていたら、どうやら結構手前の40m位がバイトゾーンらしかった。なので70mくらいのお気軽キャストで様子を見ていくがしばらく何も反応がない。その間に隣の隣のおじさんがコンスタントに釣りあげていく。この違いは何だろうか、とりあえず誘い方を真似てみるが反応なし。

こういう時はと思ってジグパラTG30gをセットし巻きでの反応をみる。すると一投目であっさりヒットし、スローに移行しつつあるかもしれないという予測の元続けてみる。しかし、おじさんは相変わらずジャークで魚を取っていく。何なのだろうか。

 

ジグパラTGにも反応が良くないのでカラーを変えてみる。本当はシルバー一色が欲しいが生憎ボックスになかったのでバンジーショット30gのブラックでただ巻きする。特段よさげには思わなかったが、バイトゾーンでもにょもにょとじゃれつくような反応。一瞬止め、軽くあおってヒットした。なかなか面白い当たり方だ。

 

そしてまたしばらく釣れない状況になった。休憩していたら隣で当たったので始めてみるも、一向に反応がない。ふとここで一つ思いついた。

もしかすると、ルアーの動きは大切だけど3~4匹の群れが通るタイミングで投げられていて、1匹かかると仲間はつられて岸方向に意識がむいているから連投でヒットしやすく、横方向へは行きにくいのではないか。結局それが一定以上離れた隣の釣り人には釣れないということを招いているのかもと思った。連発おじさんはファイトに時間がかかっていて、釣り人の直線上への群れのキープができていたのかもしれない。あくまでも活性が高い青物の群れの場合だが。

 

そこではこれ以上粘っても出ない雰囲気だったので駐車場で軽食を取ることにした。駐車場は海岸より上の丘みたいなところにあり釣っている人を見ながら食べることにした。早朝より頻度がだいぶ落ちるが、まだ食い気のある魚がいるようでポツポツ釣れていた。しばらくすると丁度真下のポイントが開いたので、あと1匹だけ出したら上がることにしてまた浜へ降りた。

 

先ほど立てた仮説では魚が通るタイミングで投げていることが重要なので、モンスターショット95を遠目に投げてパタパタ動く限界の低速で巻いてアピールを長めにとるようにした。しゃくりたい衝動を抑えながら表層から1.5m位のレンジを引いてくると、20分くらいしてリトリーブをカッと止めるようなアタリがあった。シンペンのトリプルフックに掛けたことがないので、合わせは早めが良いかもしれない。再び投げて巻いてくるとまたカッと止められたのですかさず合わせるとググっと走り出した。そしてなかなかに強いファイトで上がってきたのは今日一の良型だった。プラグだとシルエットが大きくて魚も大きいのが釣れるのだろうか。

 

ともあれ、ライトゲームをやるようになったせいか、今までで一番考えたサーフゲームになり、釣れる場所に行かないと釣る技術や思考は身につかないと実感した釣行でもあった。

 

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車内にスマホ忘れて集合写真になってしまった。

 

この後は夜に向けた準備と魚を処理しながらNOに向かった。

釣行記2021.5.6

今期あと1匹でいいからクロダイを釣りたい。釣るまでNOに通う。

 

気まぐれ小娘気質なホタルイカは捨てて、季節はベイトフィッシュだ!ということでよくわからないがより遠投が効くシンペンとか多少重めのやつで比較的大きな流れ込みを狙うことにした。

 

友人の釣り具探しで日中丸々使ってしまい下見できなかったので、手始めに根の探索を行うべくボトムリグ7gにチヌ用ワームをセットしてキャストした。

底をズリズリ引けばいいんだろうと安易な気持ちでやっていると沖目のところで一撃で根掛かってしまった。ここはボトムできないな、と思い、SPM90で根付近をトレースすることにした。

 

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程なく良型のカサゴがヒット。持って帰ってもよかったが胸鰭に寄生虫がわんさか付いていて、水中でインディアンシャツを演出していたのでお帰りしてもらった。

 

やっぱSPMいいわぁと調子乗って投げていると、先ほどの根掛かりポイント付近でまた掛かってしまう。軽くあおってもうんともすんとも言わないし、動く気配がない。あえなくロストとなった。もう廃版なのに...

どうやらこの根はルアーの地獄みたいな場所だと想像したらやる気がなくなって、しかも魚も出ないので、前回の尺ポイントへ安易に移動する。

 

この前と全く同じ立ち位置で同じルアーで始める。さすがにそううまくはいかず、定番のムラソイが遊んでくれた。流し方もうまくなってあたるポイントを見越したキャストからの一連をできるようになった。

その途中で一発引きの強い魚がヒットしたが、あと50cmのところで藻化けしてしまった。なんとか釣ろうとして一旦そこは休ませ、10分後くらいに同じコースで流すとドンとあたり、無事ランディングできた。メバル期待をよそにライトを照らすと、良型ムラソイだった。お前かよ!と思ったがムラソイはまあまあ強く引くし楽しいのでよしとする。ルアーをがっぽり食って掛かりどころも悪かったためキープした。SPM強し。リッジ60ssも投げたがあっていないのか当たらなかった。

 

本来ならマズメまで粘るところだが、青物調査をするために移動した。

昨年秋に調子のよかったサーフで、今シーズンはどうかな、まあ2匹くらいは固いでしょってなやはり安易なノリでマズメを釣る。

去年良かった流れ込みの右で沖の潮目付近に実績の爆釣ジグをフルキャスト。流れ込み向こうのお隣さんは際で私より早くやっていたが、さっそくヒットして釣りあげていた。期待大のチャンスに全力のしゃくり上げを披露し、魚に猛アピールする。

が、何投しただろうか。気づけば釣り人が半分以下になっている。日も完全に昇って静かなる朝は静謐を保ちながら流れてゆく。そして、自分の体力は疲労と暑さで限界を迎えた。

結局この浜の釣果は2匹で回遊が乏しいことが明らかになった。

何時になったら青物釣れるのだろう。 

 

釣行記2021.4.22

千葉の友人がこちらに来るということで、釣りに行くことにした。

 

現着は19時前。いつもなら始めるところだが、腹ごしらえを先に行うことにした。

釣りにあまり興味のない人間(行きたいといったのは友人だが)はとにかく腹が減るのだろうか。一緒に行く人は大体何か食べたがるし、あがる頃には顔が白くなって元気がないことが多い。私があまり食べないからかもしれないけど。

 

開始はNOで20時から。今日はボトムのパターンと小魚のパターンを試す。友人はなぜか見ているだけでよいという。

まずはミニマルで藻際をチョンチョン。まもなくミニムラソイがぼちぼち釣れる。ムラソイはボウズ逃れの定番となっており、メバルとか釣れないかなーとBTKS2なども試すが芳しくなかった。

友人は開始30分で車内に撤退した。この時期の夜釣りだというのにTシャツとジャケットで来て大層寒がって、寝袋を出して眠っていた。これまた、釣りに興味のない人間はガチな自然を感じると忘れていた本能に敏感になるらしい。大方釣りなど嗜む人間は逆にそれ以外の欲求をある程度抑え込むことができる狂った種類なのかもしれない。本当はポイント移動したかったがちょっと粘って睡眠時間を確保してやった。

 

次のポイントは初クロダイやウグイの実績ポイントだ。丁度良いテトラや流れ込みがあって私にとっては釣りやすい場所だ。みんな導流堤に立ちたがって今回も先行者がいたが、私は沖テトラからの流れと流れ込みがぶつかりそうなところでやる。

 

ここでもボトムを攻めようとしたが、海藻系の根がきつく入っておりレンジバイブを2投目で失ったので小魚のパターンでSPM55を投入した。真正面に投げて5~6カウント入れたあとスローリトリーブで流れ込みを少しドリフトで引いていく。日付が変わって少ししてムラソイが釣れ始めた。地合いかなと思ったら、もにょっとしたアタリであまり引かない魚を掛けた。なかなかの重さでずり上げにも苦労したが、ランディングした魚をライトで照らして驚愕した。

 

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メバルだけどデカい!これはもしかしたら自己記録更新だぞ...と大きさの割に地味なやり取りで実感がないままに思った。お決まりのメジャー持ってきてないやつで現地確認はできなかったが、帰宅後の計測で30.3cmということが判明。言葉通りの尺ではないが、30アップということでこれを人生初の尺クロメバルということにした。

ただ正直、嬉しくはあるが感動はそんなにない。ファイトが地味だったというのもあるかもだが、ライトタックルの釣りを始めて約半年であまり苦労もせず「釣れて」しまったのである。世の中には尺メバルを目指して釣れないまま何年も投げ続けているアングラーもいる中で、場所とタイミングが良かっただけで特に狙っていたわけではない。胃の内容物も小魚ではなくジャミジャミとしたエビ的なプランクトンだった。SPMのダイヤモンドダストプランクトンにも見えるカラーであったのが意図しないタイミングに合っていただけだ。現実は釣れる魚がいるところにその時釣れるルアーを投げられるかどうかただそれだけだが、その釣果が釣ったのか釣れたのかに関係なくそれまでの釣り人側のストーリーが喜びとか感動に影響するだろう。人それぞれね。自分は何のために釣りをするのか考えてしまうが、意図しない釣果も、喜びも感動もあるいは悔しさや飽きさえも釣りを続けるのに十分な理由や動機になっていると思う。何とは言えないけど多分辞められないので、今は狙った魚を釣れるように経験と情報を蓄えたいと思う。

 

友人のことが、それでもやっぱり釣りをしないと不憫に思ってサゴシ狙いのNPに移動したが、やはりここでも友人は寝てしまった。

仕方なく一人で釣り場に入るが、何かに追われてイナッコみたいなのがボイルしてもサゴシは一向に現れなかった。前回、今回とポイントの時期終了後になってしまったらしい。体力の限界も来たのであきらめて、銭湯、ラーメンを食べて帰路についた。

 

友達不採用から考える会話の種類の違いとその人たちの特性について、だらだら書きながら着地点を求める

友達じゃないと言われたわけです。

真に受ければ悲しく、現実的に見ればそれまでの話ということになる。関係性が悪くなったのではない、初めからそれまでだったのだ。

 

一体どこまでが友達かなんて今まで考えたこともなかった。何となく話が合えば、そしてそれなりに話す機会が多ければそれでよしだった。

曰く、考え方という概要はわかるんだけど、内容というか気持ちとか話してもらってないから友達じゃないそうだ。そんな線引きがあるとは知らなかった。私からすれば個人的な話をしたつもりだったが、気持ちまでは伝わらなかったらしい。

 

つっこみを入れるとすると、気持ちを話してもらっていないとはどういう態度かということだ。自分が友達だと思っている人は気持ちを話してくれたかもしれないが、もし本当に気持ちが大切だとすれば気になったりして相手に聞いたりしないのだろうか。与えられないと友達になれないなら、それまでの時間は退屈しないのだろうか。

 

私は友達だと思わない人とはほとんど遊ばないので、友達じゃない人とよく会う人の気持ちがわからない。これは昔からそうで、大勢の飲み会なんかに呼ばれても仲良くない人とは何かが生まれるわけではないので結局みんなと離れて飲んでいた。確か面白いと言われたが、それが本当なら飲み会で考えると特有の盛り上がりとか何かやったりする奴をみて楽しんだりするように、誰でもよくて気持ちよくなれたらOKみたいな、消費者の臭いがしてくる。私はつくづく消費されやすい人間である。

 

消費者は得てして自らを安売りする。友達ではない人間に話せないことはないと言ったのだ。私は友達だと思っていたから、それならば話せないことはないということに同意できるが、友達でない人ならあえて話せるか試すために個人的なことを話すことはあっても、すべて話せるわけではない。大切な話は友達ではない人に易々と話さない。なんでも話す代わりに何を得ているのだろうか。場の楽しさなのか、一定の好意なのか、いずれにしてもその姿は援交と重なるように思える。自分を無価値にすれば、大切という値札が付いた事は相手にとっては意味があり、自分にとっては無意味になる。自分の意味を信じられないことが完全にあるかといえばそれは嘘だと思うが。

 

考えてみれば大人になるとあんまり感情の話をしなくなるのかもしれない。男特有かもしれないが、自分と目指す方向が似たような仲間を見つけるときには考え方を共有することの方が多いように思う。何をどう感じようとも、方向性が同じなら受け入れることができる。まあ、似た者同士はその感情の部分も大体似たようになるのだが。

逆に女性には、共感や同感をもとにした仲間探しをする人が多いのかもしれない。

どちらが良いとか悪いではなくて、率直に感情が近いと仲間の感じがする感覚がいまいちわからない。確かに、感情は雰囲気として伝わっていくので自分と違う感情の人がいるとそちらへ引っ張られて振り回されることが考えられる。近しい感情の者同士なら自然に過ごせるだろう。ただもしかすると近いとかではないのかもしれない。人の感情を同じように感じたいとか、人の感情に動かされたいとかもあるかもしれないと今思った。

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風呂に入っているときにまた思いついた。

感情を主体とする会話の特徴は、内容が分からなくても感情だけでコミュニケーションが成立することだ。分かるというベクトルが考えではなくで感情に向いている。人の話の内容は頭で理解できないことがあり、人間にとって会話している相手との不理解は心理的分断をもたらすので、感情というルートを残しておくことは不通を避けるのに役立つ。かつてバイト先のおばちゃんから「気持ちを話した方がいいよぅ」と酔っぱらいながら言われたことを思い出したが、きっと彼女は私の話を分かってなかったのだろうな。

 

しかし人と繋がれる瞬間というのは恐らく誰しも嫌なものではないだろう。むしろ本来的な欲求ならば快といってもよい。ではいつから私は感情を話さなくなったのだろうか。感情を話せば快が得られる可能性が高くなるのに、である。だから、かつて感情を話して嫌な思いをしているはずだ。あるいは気恥ずかしさとか。んー、これは気恥ずかしさだろうな。ちょっとは嫌な思いもあると思うが。根本先生は自立するほど零れ落ちると言っていて、最初の方に書いたが大人になると感情を言わないことが増えるのは普通だということだ。そして、人目を気にする状態が恥ずかしさということらしい。見せられない守りたい自分がいるということだ。

そうすると、感情をそのまま表現することは無防備になるのと等しい。もし感情が理解されなければそれこそ大ダメージになる。世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな気分と感情があって、どうされるかわからないその中に自分をさらすというのは自殺行為といえる。つまり、感情は恥部であり、感情を出さないのは社会で生きるのに必要な防御策なのだ。だからあからさまに感情が出ている人を見ると、恐らく違和感があるだろう。それは露出狂に出くわしたときと同じ感覚なのかもしれない、あったことないけど。

そして恥部の見せ合いはつまるところセックスであり、これが男女間で友情が成立しないという所以かもしれない。男女間で感情を見せ合ってしまったら、恋愛関係に発達することは想像に難くない。

ところがそううまくいかないことも大いにある。人と繋がることは快であるけれど、いわゆる生理的に無理みたいな、初見や早い段階でつながりたくないと思われてしまう場合である。あるいは、いきなり感情を見せつけられても、それは恥部を見せられたときと同じように、びっくりするし常人として疑わしくなる。繋がりたいときに感情はうれしいけれど、普段は見せつけられたりしたくない。

ちょっと極端なところもあると思うが、人との会話ではおおよそ感情はドラスティックで、考えはスローで分からなければ味気ないこともある、という具合だろうか。いつでもドラスティックしたいエモジャンキーはさておき、私としては考え方主体で話して、感情はスティディリトリーブ中のショートジャークのように平打ちで見せる、くらいが大人のカッコよさとして丁度よいと思うし、そんな人がいれば魅力的だね。

 

ところで、今回の相手は本当はどうなんだろうか。感情を聞いたときの会話の楽しみには見せ合い的な、あるいは盗み見的な要素を見出しているのだろうか。それとも、見せてくれていたのに乗らなかったことを恨んでいたのだろうか。それとも、感情があるということ、あるいは見せてくれるということをただ観測したかっただけなのか。1番目なら変態、2番目なら子供、3番目なら…卑怯者

ということで今回はこれまで。もう一度機会があれば

 

釣行記2021.4.11-12

4月のホタルイカチャンスの恐らく最終になりそうな天候だったので、前回のダメージを引きずりつつNOへ行った。

今回は同じ場所で粘ってイカが湧くのを待つ作戦で行くことにした。そして一人でやりたかったので一人しか入れない排水突堤に入った。18時に入り、ラインシステムを組んだり、電話しながらぼちぼち投げていたが、微妙な乗らないあたりが続いた。そのうちヒットし釣りあげたがフグだった。ここ1か月あったこの反応はみんなフグだったのかもしれない。海が春になっていくとフグが湧いてくるということだろうか。

約束の23時になってホタルイカが光り始めた。2匹、やはりこれは、はぐれホタルパターンなのかという予感が何となくしてくる。

ここでは何も出なかったので見回りした。イカ捕りの人たちに聞いても何もないそうだ。各岸には1匹ずつ光るだけで、大量に寄せてくる気配がない。始まりの場所にいくと他より多くいるようだったので、ここで心中することにした。

そして何もないままマズメ時を迎える。今月は乏しく終わりか、ホタルイカパターンは気まぐれもいいところである。

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最後の最後になかなか美形のカサゴが遊んでくれた。

こんな小さい魚でも釣れるか否かの差は大きい。何かスーっとすっきりした気持ちになれた。ありがとう。

 

仲間になると承認欲求が満たされる

何かの集団に属することは人間の本来の欲求のひとつだ。それは野生では弱かった人類が生き残るために集団化していた頃からのものだろう。個人の生存のために属し、その集団へ貢献することで仲間から大切にされて更に生存確率が高まる。自分のためは人のため、人のためは自分のためという循環が成り立つ。人類はこの欲求に従って集団を組織化し、村、町、国という具合に人の集合を大きくし、統治のための社会システムを築いた。
社会システムは多くの人の命を保証している。食糧を生産し、それを運ぶ者、加工する者、提供する場所を作る者、道を作る者、ありとあらゆる仕事が作られ、その労働の対価としてお金を渡しサービスと交換することができる。自然の中に人類の領地を作り広げて野生の危険を遠ざけた。社会システムに従って生きていれば、従来よりずっと生きやすく死ににくい。
しかし、現実は生きにくいという人が一定数いる。生存を保証する救済措置がありながらもである。どうやら人はただ命が保証されるだけでは納得しないらしい。
その感覚がどこから来ているかと言えば、それは生存に関わる欲求が満たせていないことからではないかと思う。その欲求は食欲や睡眠欲のように、満たせないと命に関わる。つまり、文字通り生きにくいということになる。もちろん、あらゆる欲求はそれを満たせないときは不満が生まれて、溜まれば生きにくいということに繋がる。ここで言いたいのは枝葉の欲求ではなく、根幹の欲求である。そして、始めに述べた所属とか承認の欲求は人としては根幹の部分にありながら満たせないという例が、実は発達した社会システムによってもたらされているという疑いを私は持った。
今や人の仕事はシステムを維持するためにあると言っても過ぎることはない。システムの維持は生存に必要なのでそれ自体は間違っていない。しかし、人は自分の属する集団に寄与したいのであって、システムに寄与したいわけではない。所属と承認はセットだと思うが、システムが自分を認めてくれるというのは実感として考えにくい。では会社はどうだろうか。会社で働けば人のためになるが、自分の仕事が街ですれ違う人にどれだけ感謝されるだろうか。どんな有名な会社でも自分で名乗らない限り感謝されることはない。社内では、何かプロジェクト等の大勢でやる仕事や部課ではその中で必要とされることはあるかもしれない。しかし、多くの業務が日常のルーティンでシステマティックに片付き、共働が生まれないところもある。
こうして、自分が属する集団が実は良く分からないということがシステムによって大きくなった集団では起こりやすい。人は自分の手の届く範囲にある物理的に実感がある集団と顔の見えない遠くの集団に属するのが実情だろう。どちらも大切なことであるが、どれを認知するかは個人に委ねられる。遠くの集団に重きを置く場合、誰かのためになっていると思えている内は良いが、ふとそれは誰なのか気になってしまったとき、実在するけど良く分からないという幻想めいた集団に惑わされることになる。その時所属というアイデンティティは近しい者同士で築く方も大切ということに気付くだろう。
ただ問題なのが、顔の見えるつながりは現代化によって難しい局面を迎えている。やはり、大きな集団には色々な人がいて、自分と似ていることもある。集団で生き残るには希少性も重要な要素であるから、人は他人と自分との違いを見つけようとする。すると、個性はより繊細になり、ちょっとした人との違いに敏感に反応することになる。繋がる行為で傷付くのを防ごうとして顔の見える繋がりを妨げるのである。こうして宙ぶらりんになった人々の向かう先は過度な思想を持つ集団ということは往々にしてあるだろう。或いは、絆とかに代表されるように何者かが仕組んだある程度の規模の方向性に連帯する。何かに属していないと不安になるから、その不安を消すために大きそうで強そうで分かりやすく安全そうな所へ流れていくのである。極左極右、ネトウヨ環境保全など、好きなだけ主張できて他人からは叩かれにくい。しかし、快活なそれらの活動に引き換えて、それに所属している感というのは一体どれほど実感があるのだろうか。よく見直せば虚構でガス抜きしているに過ぎないのではないか。無所属の不安に流される人はこうした中間的な繋がりを求めたがるが、実際に中間はない。実感として認知するか否かという二極なのである。
一先ず現段階で言えるのはここまでである。所属感は人それぞれだが、私は自分が手に負える範囲でしか所属と承認を同時に満たせないと思っている。多くの人の役に立ちたいともちゃんと思うが、それは自分のアイデンティティとしての所属を実感できる磐石な所に置いているからできることである。

釣行記2021.4.9-10と勘違い男の話

前回の釣行の後、ホタルイカが各地で爆湧きした。決まって運が悪いのは昔からだが、それにしてもひどい。今回は人に会う用事とかねてちょうど良いタイミングの計画となった。
当日は風裏のWIRに入った。が、生命感ゼロで23時に撤退。色々可能性を調べるがどこも渋いらしい。絶望して少し寝ることにした。
 
2時に目覚めて再び検索した。どこも微妙。これはサゴシでもやりに行くしかないかと、NPへ向け走り出した。途中のSRでも見ていくかと軽い気持ちで駐車場に入ると満員御礼状態。夜からすごい。

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車から降りて浜へ向かい、適当に話しかけてみると、今湧き出した!と皆忙しそうにしていた。おばちゃんは沖でこけて着替えてきたそうだ。
さっと準備して入れそうな所を探すが、イカ獲りの人が多すぎて、よく分からんテトラに上るしかなかった。とりあえず投げるも、なんだか釣れない雰囲気。というか、ライトや網が入れば魚も寄らないといった感じか。
足元ではホタルイカがどんどん寄せていた。これは、もう、掬うしかないよねってことで、急遽ホタルイカ掬いおじさんに転向して頑張ることに。テトラについた藻が夜露でふやけて足場が悪かったため、安全だがきつい体勢で掬っていく。多少ゴミが多いが、砂浜より後の処理が楽に済みそうだった。この時点でほとんどマズメから日が出切って、かなり的確にホタルイカへたも網を入れられるようになったくらいで湧きが落ち着いた。網使いのいい練習になった。
イカの人たちが帰り始め、自分も十分掬ったので釣りに戻る。しかし、周りも自分も何も釣れなかった。
 
ホタルイカを処理してNPへ向かう。ロケーションはBWににていた。何とか間に入らせてもらいサゴシを狙っていく。この時6時半頃だったか。マズメ時には良く釣れていたようで、帰っていく人は3本くらいは下げていた。隣の人は初心者らしくキャストほぼ同じように狙っても立ち位置が違うだけで釣果は雲泥である。釣りとはこういうことだ。いる場所に投げなくてはならない。BWでやったときは魚が溜まっている場所が明確にあることがあって、例え回遊魚といってもその場所に等しく泳いでいる訳ではないということは知っていた。
海中は稚鮎やイワシらしきベイトが泳ぎ、時々何かに追われているのかボイルしていた。こうなると中々やめられず、体力が削られていく。早朝のテトラも効いて、尻や脚もだるい。満潮からの下げで潮目が出来はじめたので、それを探って終わろうと思った。様々な試行錯誤の上、緩やかなハイピッチジャーク4回の2カウントフォールでようやく1バイトあった。しかし、サゴシ特有のミスバイトでジグは歯形だけ付けて返ってきた。トレブルにしたのになあ。
夜の予定と体力の限界を考え、10時半に納竿した。
 
しかしなんだろう、釣れない日はとことんついていない。
 
ホテルにチェックインし、汗を流してすぐに寝た。そしてだるい体を起こして集合場所へ向かう。今日は何のことなく飲みながら考えてきたことを伝えるはずだった
会話は進み、伝えることを伝えた。友達だと思ってるから真剣に考えてきた。ところが、話の流れで相手からは友達だと思われていないと打ち明けられた。酒に酔っていたおかげもあり、その衝撃は柔げられた。あるいは、人生中で友達でないことを本人から言われる機会などそうないということが内容の悲壮ではなく単純な驚きをもたらした。
感慨は津波のように後からやってくるもので、しばらく考える日々を送ることになったが、それは別の機会に。
 
その後は独りでバーへ行った。無機質になりながらもどこか話したいという欲求を、そこのイベントの奇天烈な主催者と酔っ払った客、スタイリッシュな店員が満たしてくれた。イベントは、気分でよくわからないドリンクを決めるというニューヨークスタイルのカクテルを提供するというものだった。面白そうだったので私も一つ頂くことにした。出来上がったものは想像とは裏腹に好みの味だった。主催者が渡してくれたお品書きの原料をみて雰囲気で決めたDouble Bluffは、実は一番本場らしい何の味がするかわからないし保証しないというものだったそうだ。知っていることは狙った結果をもたらすのに必要だけど、知らなかったことの方が大きな要因となって目的達成を遠ざけたり、あるいは適当に決めてもドンピシャにあっていることもあるという、その日の運命の妙を感じた。